さぁ、お遍路へ行こう。
東京にお住まいの関本拓司さんが四国八十八ヶ所の歩き遍路の体験を紀行文としてまとめられました。様々な体験の中で、率直に感じた想いを書き綴っています。
23番薬王寺を過ぎると、24番最御崎寺までは、国道沿いに80キロ歩いた。町と町の間隔も長く、沿道をひたすら空と海を見ながら歩いた。時々100メートルや250メートルのトンネルがあり、歩道とガードレールのあるトンネル、歩道のみのトンネルもあり、トラックの風圧、排気ガスに困惑した。歩行者がいることをクルマに知らせる為、蛍光塗料付きのバンドを持参したが、無灯火のクルマが3台に1台あり、意味がないと感じた。遍路道にトンネルのある国道がある限り、世界遺産に登録するのは難しいと思われた。
国道を行き交う人もおらず空と海を眺めて歩いていると、自然と意識が自分に向き、自分と向かい合って歩くことになった。何で今こうして歩いているのか、あの時ああしたことは良かったのかなどなど。街を歩いている時と違い、周りをキョロキョロすることもなく、波の音を聴きながら歩くのは今までないことであった。
室戸ジオパークを訪ねると、室戸岬は南海トラフが隆起して今のような岬になったことを知った。空海が篭った御厨人窟も今より6メートル下にあったようだ。風が強く菅笠が壊れそうになったので、笠を外し脇に抱えた。家もコンクリートの壁や植木で防いでいた。波は荒々しくダイナミックな景観だ。室戸灯台も遥か40キロ先を照らしていた。このような空と海しか見えない御厨人窟で空海は修行したのだから、五感を研ぎ澄ませると自分の存在は宇宙の一部と感じられたように思った。室戸岬は徳島、高知から遠く、車の四国旅行でも行けなかったが、自分の足で歩いて行けたことに感慨深い思いを感じた。
安芸から高知まで約80キロあるが、防潮堤沿いがサイクリングロードになっており、遍路道になっていた。通学の中学生ぐらいしか利用しておらず、ゆっくり歩けた。地震対策で、港をしっかり防潮堤で囲っている漁港が殆どだ。土佐黒潮鉄道も高架になっており、避難タワーも完備されていて、地震時の安心感を持てた。
吉良川町は、蔵のある家が残っていて、歴史的街並み保存地区があり、遍路宿の蔵空間も古民家を利用していた。奈半利町は、土佐黒潮鉄道の終点だ。北川村のモネの庭まで村営バスが出ていた。
安田町は、日本一の清流で鮎が取れ、土佐の鶴、南などの造り酒屋が多かった。安芸町は、野良時計、岩崎弥太郎の生家、土居の武家屋敷跡も残っていた。手居町は、堀の手居港があり、可動式橋があり、現在も使われていた。安田町にある27番神峯寺は、標高430mの山の上にあり、海岸から3キロ登るのでかなりきつかった。しかし、寺に辿り着くと、境内は綺囲に清掃されていて、凛とした気が流れ、清水を飲むことができ、荘厳な気持ちになれた。苦労して登ってきた甲斐があるように思えた。空と海の展望公園があり、土佐湾を一望できた。
香南市にある民宿住吉荘で、武田喜治著「四国歩き遍路」が置かれているのを見つけた。数日前に
著者が見えて置いて行かれたとのことで、緑を感じた。参考文献を見ると、事前準備で読んできた辰濃和男著「四国遍路」「歩き遍路」や、ひろさちや著「般若心経八十八講」が掲載されており、興味を引いた。丁度今迄歩いてきた道のりを振り返りたいと思い拝読した。
武田さんは、東京の歩き遍路交流会の事務局長をされており、結願後仲間に入れて欲しいと思い、メールでコンタクトした。幸いにも武田さんから返信があり、これ以降、結願するまで、あたかもパーソナルな先達になって頂いたように、折に触れ遍路のアドハイスを頂くことになった。こんなありがたい出会いを持てたことは、弘法大師に感謝した。縁は自ら創るものと思えた。
高知県の観光施設、道の駅、宿等を利用するとパスポートが発行され特典が付いた。各施設でスタンプが押され、スタンプを集めてパスポートのグレードをアップしていく観光促進パスポートだ。
高知県に約1ヶ月いるので、既に青→赤→ブロンズにグレードアップした。丁度高知市に居たので、パスポートの更新が容易だった。
お遍路することを福岡の友人に伝えたら、丁度四国旅行する際に、1日同行して歩き遍路したいとの意向が示され、遍路中に激励してもらえることが嬉しかった。彼の回りの友人3人も加わり、高知の友人から紹介された居酒屋で賑やかな激励会となった。1日歩き遍路を彼も喜び、お遍路しながらオカリナ、ケーナ演奏をし、また、沿道での冷たいお茶を接待してくれた方へに、オカリナ演奏てお礼も出来た。彼のお陰で風流なお遍路になった。お遍路は日々ストーリーが描けない面白さがある。
雨具として、靴はアウトドライ仕様、防水のナイロンパンツとスパッツ、ウインドブレーカー、ビニール菅笠カバー、リュックサックカバー、そしてポンチョだが、今まで何とか凌げた。雨の日は嫌だという感覚が徐々になくなってきた。田んぼの稲にしてみれば、恵みの雨であり、また紫陽花は雨を受け彩りが増してきた。雨を差別せず、雨と親しむ感覚をもてるようになれるかが修行なのだろう。
毎日のように思いがけないお接待を頂いている。お店では、大福を1つ買おうとして、1つならお金いらないよ、2つ上げようと。うどんを食べたらアイスクリームを。コンタクトの洗浄液を買ったら、バンドエイドの試供品を。郵便局で切手を買ったら、ティッシュを3つ。お寺では、納経所でビスケットや甘茶、手作りストラップを。おもてなしステーションでは、小夏とキャンディを。宿ではお弁当や洗濯を。割安な遍路プランも。路上でクーラーボックスでの冷水サービスも。遍路仲間からの夏みかんの差し入れも。善意のお接待に感謝です。
高知でも旧道の遍路道は幾つかあった。27番神峯寺山門への道は久しぶりに土の道を歩けた。登りつめると、清水が湧いていて清涼感を持てた。30番善楽寺へは街中だが、田んぼのあぜ道、小川に沿った短い雑木林の中等変化に富んでいた。 31番竹林寺へは牧野植物園の中を通って行けた。
35番清瀧寺へは清水の流れに沿って歩けた。寺の手水鉢は清水だった。36番青龍寺から37番岩本寺までは、また海沿いに65キロの長い道のりを歩くことになる。
高知県は南海トラフ地震が予想されており、お遍路も地震と津波には関心が高い。遍路道には、安政地震の被害碑が建っていて過去に学ぶ機会がある。東北大震災の時は、20メートルを超える津波があった地区があった様だが、避雖タワーは20メートル位の高さだった。国道には誘導看板もあり、分かりやすい町もあった。高台への避難看板もいたるところ見られた。土佐くろしお鉄道は、高架式になっていて津波対策を取っていた。